サルナートから特急列車でアグラに移動しました。移動時間は約7時間でした。
翌日、アグラ市内観光に出かけました。
タージ・マハル
タージ・マハルは、インド北部アグラにある、総大理石の墓廟。
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設しました。インド・イスラーム文化の代表的建築で、1983年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
ムムターズ・マハルは、謀反を起こした臣下の討伐に付き従っていた遠征先のブルハーンプルで産褥病のため、1631年6月17日に死亡しました。彼女の遺言のひとつに、後世に残る墓を所望したためにタージ・マハルが建設されました。1632年着工、1653年竣工とされています。
タージ・マハルといえば真っ白なイメージですが、近くで見ると結構モザイクです。でも、とても美しい。





アグラ城
アグラ城の本格的な建設は、ムガル帝国の第3代皇帝アクバルによって1565年頃から始められました。
それ以前にもこの場所には城塞がありましたが、アクバルは帝国の重要な拠点として大規模な改築を行い、赤砂岩を大量に用いた巨大な城塞へと造り上げました。
城壁の全長は約2.5キロメートル。
その巨大な城壁の内側には、単なる軍事要塞ではなく、皇帝が暮らす「帝都」ともいえる空間が築かれていました。ユネスコも、アグラ城をムガル皇帝たちの帝都を包み込む16世紀の重要な城塞として評価しています。1983年には世界遺産に登録されました。
現在でも赤い城壁を目の前にすると、その圧倒的な大きさに驚かされます。
赤砂岩の城から白大理石の宮殿へ
アグラ城の大きな特徴は、同じ城の中に「アクバルの時代」と「シャー・ジャハーンの時代」が共存していることです。
アクバルが築いた建物には赤砂岩が多く使われています。
一方、後の皇帝シャー・ジャハーンは、白大理石を好み、城内に美しい宮殿や謁見の間を造りました。
そのためアグラ城を歩いていると、
赤い巨大な城壁
↓
精巧な彫刻を施した赤砂岩の建築
↓
突然現れる白大理石の宮殿
という、ムガル建築の変化を見ることができます。
アクバルからシャー・ジャハーンへ。
二人の皇帝の美意識の違いを、建物そのものが語っているようです。
アマル・シン・ゲートから城内へ
現在、観光客がアグラ城に入る際に利用するのは、南側にあるアマル・シン・ゲートです。

かつては複数の門がありましたが、現在一般の観光客が入場できるのはこの門です。
門をくぐると、そこには巨大な城壁に囲まれた空間が広がります。

外から見たときには「巨大な軍事要塞」という印象が強いのですが、中に入ると宮殿建築の繊細さに驚かされます。
戦うための城でありながら、皇帝が暮らすための豪華な宮殿でもあった。
この二面性が、アグラ城の面白さです。
ジャハーンギール宮殿
城内でまず目を引く建物の一つが、ジャハーンギール宮殿(Jahangir Mahal)です。
アクバルの時代に建設されたとされる建物で、赤砂岩を使った堂々とした姿をしています。
柱や壁には細かな装飾が施され、重厚な外観とは対照的に、内部には中庭を取り囲むような宮殿建築が広がっています。

ディーワーン・イ・アーム――皇帝が人々と向き合った場所
さらに進むと、ディーワーン・イ・アーム(Diwan-i-Aam)があります。
これは「公謁殿」とも呼ばれ、皇帝が臣下や一般の人々からの訴えを聞くための場所でした。
大きな柱が並ぶ広々とした空間からは、ムガル帝国という巨大な国家を統治していた皇帝の権威が感じられます。
一方で、ここでは皇帝が人々の声を直接聞くという、政治の場としての役割もありました。
宮殿の美しさだけでなく、ここが実際に帝国を動かしていた政治の舞台だったと考えると、景色の見え方も変わってきます。
ディーワーン・イ・ハースとシャー・ジャハーン
さらに奥へ進むと、ディーワーン・イ・ハース(Diwan-i-Khas)があります。
ここは皇帝が重要な賓客や高官と会うための、より私的な謁見の場でした。
シャー・ジャハーンの時代には、ここに豪華な装飾が施されました。
シャー・ジャハーンといえば、何といってもタージ・マハルを建設した皇帝です。
白大理石、精巧な装飾、左右対称の美しい空間。
アグラ城の中にも、タージ・マハルにつながっていくシャー・ジャハーンの美意識を見ることができます。

ムサンマン・ブルジュ――皇帝が見つめたタージ・マハル
アグラ城を訪れたら、ぜひ注目したい場所があります。
それがムサンマン・ブルジュ(Musamman Burj)です。
ヤムナー川を望む八角形の塔で、ここからは天候や条件がよければ、対岸方向にタージ・マハルを望むことができます。アグラの政府観光案内でも、シャー・ジャハーンが晩年を過ごした場所として紹介されています。

シャー・ジャハーンは、息子アウラングゼーブによって権力を奪われた後、アグラ城に幽閉されました。
そして、この城で晩年を過ごしたとされています。タージ・マハルを建設した皇帝が、晩年には城から遠くに見える愛妻ムムターズ・マハルの墓廟を眺めながら暮らした。
この話を知ってからムサンマン・ブルジュに立つと、目の前に広がる景色が少し違って見えてきます。
華麗な帝国の象徴である城が、最後には一人の皇帝の人生を見つめる場所になったのです。
アグラ城から見るタージ・マハル
アグラ城とタージ・マハルは、地図上でも非常に近い位置にあります。
アグラ城はタージ・マハルから約2.5キロメートルの場所にあります。
そのため、両方を同じ日に訪れる旅行者も多いでしょう。
タージ・マハルを先に見るか、アグラ城を先に見るか。
どちらでも構いませんが、アグラ城を訪れた後にタージ・マハルを見ると、シャー・ジャハーンという皇帝の人生をより立体的に感じられるかもしれません。
タージ・マハルは、愛する妻のために造られた白い墓廟。
アグラ城は、皇帝が権力を握り、宮殿を造り、そして最後には幽閉された場所。
二つの世界遺産は、実は一人の皇帝の人生によって深く結びついています。

